2021年3月3日 佐藤宏明 牧師
「ダビデの詩。ダビデが洞穴にいたとき。祈り。」
「声をあげ、主に向かって叫び、声をあげ、主に向かって憐れみを求めよう。御前にわたしの悩みを注ぎ出し、御前に苦しみを訴えよう。わたしの霊がなえ果てているとき、わたしがどのような道に行こうとするかあなたはご存じです。その道を行けば、そこには罠が仕掛けられています。目を注いで御覧ください。右に立ってくれる友もなく、逃れ場は失われ、命を助けようとしてくれる人もありません。主よ、あなたに向かって叫び、申します「あなたはわたしの避けどころ、命あるものの地でわたしの分となってくださる方」と。わたしの叫びに耳を傾けてください。わたしは甚だしく卑しめられています。迫害する者から助け出してください。彼らはわたしよりも強いのです。わたしの魂を枷から引き出してください。あなたの御名に感謝することができますように。主に従う人々がわたしを冠としますように。あなたがわたしに報いてくださいますように。」
詩篇142編1~8節
人間は誰でも、人生の苦難に合った時、「トンネルに入った」と言います。しかし、この詩篇の作者は単なる表現だけで無く、現実的に洞穴の中に潜み、周りを敵に取り囲まれているのであります。しかも敵は、彼の忠誠を捧げた義父のサウロ王なのです。サウロ王の嫉妬だけでダビデは国中から標的にされ、どんな弁解も、一介の憐れみも認められず、ただ命を狙われる事になったのであります。そこには、創世記4章にある「カインとアベル」兄弟の、嫉妬による弟殺害の醜い事件が重なる様な、深い原罪の問題が暗示されております。ダビデの逃れ場は洞穴しかありません。彼は熊や狐、穴熊、野鼠の様に荒れ地の洞窟を逃げ惑うのであります。しかし、ダビデを聖別された神様は、絶えず彼の側にいてくださいました。「あなたはわたしの避けどころ、命あるものの地でわたしの分となってくださる方」何時の時代もダビデの如く、洞穴の闇の中から、天を仰ぐ信仰者の姿が見られます。預言者達も井戸に投げ込まれ、ライオンの穴に落とされ、牢獄の冷たい格子に捕われ、カタコンベ(地下共同墓地)の闇の中に小さな灯をかかげて神様を賛美したのであります。詩篇18:3「主はわたしの岩、砦、逃れ場、わたしの神、大岩、避けどころ、わたしの盾、救いの角、砦の塔。」と。現代も教会はこの世の洞穴に閉じ込められております。敵意を持って法的に迫害する国もあれば、低い倫理観や宗教観で敵対する国民もおり、妬みや嫉妬、邪悪な悪意で誘惑してくる人々もいるのであります。誰が、洞穴を逃げ回るダビデを、イスラエルの建国者、神様によって立てられた大王となると予見できたでしょうか?しかし、聖なる約束の通り、ダビデはイスラエル最大の大王とされるのであります。
詩篇68:36「神よ、あなたは聖所にいまし、恐るべき方。イスラエルの神は御自分の民に力と権威を賜る。神をたたえよ。」