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2020年8月9日  佐藤宏明 牧師

「主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。山々が生まれる前から、大地が、人の世が、生み出される前から、世々とこしえに、あなたは神。あなたは人を塵に返し『人の子よ、帰れ』と仰せになります。千年といえども御目には、昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。あなたは眠りの中に人を漂わせ、朝が来れば、人は草のように移ろいます。朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい、夕べにはしおれ、枯れて行きます。あなたの怒りにわたしたちは絶え入り、あなたの憤りに恐れます。あなたはわたしたちの罪を御前に、隠れた罪を御顔の光の中に置かれます。わたしたちの生涯は御怒りに消え去り、人生はため息のように消えうせます。人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても、得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。御怒りの力を誰が知りえましょうか。あなたを畏れ敬うにつれて、あなたの憤りをも知ることでしょう。生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。」

詩編90編1~12節

この詩編はモーセの祈りであります。彼は赤子の時、エジプト人の政策でナイル川に流されました。しかし、不思議な神の導きでエジプトの王女に拾われ、最高級の生活と文化を受けたのです。しかし、自分はイスラエル人の奴隷である事を知っていたモーセは、エジプト人を撃ち殺し、シナイの砂漠に逃げ、40年間、羊を飼っていました。神様はその様なモーセを呼び出し、イスラエル人の解放者として用いられたのです。

モーセの先導によりエジプトを脱出した民は、頑ななイスラエル人の罪により、更に40年間、悩まされます。彼自身も約束の地を目前にしながらそこに入る事は許されませんでした。どんなにか残念な事であったでしょう、その様な深い思いがこの詩に溢れています。

しかしモーセは人間の計画が全てではない事を知っていました。人間が神の為にあるのであって、神が人間の為にあるのではないと言う「信仰の知恵」を持っていたのであります。

朝日新聞の「異論のすすめ」欄に、京都大学名誉教授の佐伯啓思氏が「死生観への郷愁」と言うコラムを載せており、今回のコロナウイルスの問題は、私達の目を人間存在の根底に向けさせるものだと言っておられます。目に見えない感染症に翻弄される現代人は、何でも国家権力に責任を丸投げし、「自分の命は自分で守る」自立の基本が薄く、「国は我々の命を守る義務がある」と、結局「死生観」を問う事もない全てお任せの無責任な道を辿るのです。モーセの一生は神の器としての生涯であって、彼の心には「人の子よ、帰れ」との神様からの御声が響いていたのであります。

大帝国の王座を求めても、所詮は「土から造られた塵に過ぎない」のです。また、人間は必ず死ぬのです。内村鑑三は「存在とは与えられたものであり、いつ奪われてもおかしくはない」と人生の根源的な事実を示しています。しかし、創造者は私達の「宿る所」「帰るべき所」なのであります。14節「朝にはあなたの慈しみに満ち足らせ、生涯、喜び歌い、喜び祝わせてくださる」のです。

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