2020年5月10日 佐藤宏明 牧師
「両親はイエスを見て驚き、母が言った。『なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。』すると、イエスは言われた。『どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。』しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。」
ルカによる福音書2章48~52節
この箇所は聖書中、数少ない少年イエスの成長を記した箇所です。しかし短い中に素晴らしいバランスの取れた人間成長の模範が示されていると言えます。子どもの成長は「知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。」とある様に、知育、体育、徳育、霊育、の四育のバランスが必要なのです。そして現代社会は誰もが知る様に、知育、体育には重きを置いても、徳育、霊育は全く無視した、アンバランスな人間を育てています。
徳育、霊育は学校教育では手に余る家庭と両親の責任分野であります。経済成長のみに走り回るわが国には育っていない事柄と言っても過言ではありません。この様な子育ての状態を「知恵ある悪魔」を育てる社会と言った人がおります。聖書には、箴言17:1「乾いたパンの一片しかなくとも平安があれば、いけにえの肉で家を満たして争うよりよい。」と教えられていますが、世界は正に「何とかに刃物」と言う危険な状態に向かっております。
子どもたちが両親から経済や知識ではない精神的、霊的な模範を学ぶ事が出来なければ、どの様にして幸福な希望の生活を送る事が出来るのでしょうか?
徳育、霊育とは、信仰により受け継がれるものなのです。神様は聖書の初めに「十戒」をお与えになり、第五戒で「あなたの父母を敬え。」と命じられました。創造者のすぐ下に「父母を敬う」べき事をお示しになっているのです。
ルターはこの御言葉を解説して「神はご自分のすぐ下に両親をお立てになられた。両親は規律と秩序を維持する為の神の代表者である。そこで、両親に対しては、愛するだけでなく、尊敬しなければならない。両親は神の摂理の中に与えられた地上の人生にあって、最も貴重な宝として貴ばなければならない。」と言っております。
信仰によってこそ、「母への真の感謝」の心が育まれるのです。真に尊いのは「知恵」では無く、深い愛の心であり、精神なのです。Ⅰコリント13:13「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」