2020年6月7日 佐藤宏明 牧師
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。
偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」
マタイによる福音書7章1~6節
或る中年夫婦の家では、毎日、些細な事で意見がぶつかり喧嘩がたえません。その隣の家は若夫婦と子供が二人、更にお姑さんの大家族なのですが、穏やかな家族で、争うことなどほとんどありませんでした。そこで中年夫婦はお隣に行って、「お宅は何故、喧嘩もなく、穏やかに生活できるのですか?」と尋ねました。すると若主人は、「それは不思議な事ではありません。お宅はお二人とも正しい人だから意見がぶつかり合うのですが、うちはみんな、悪人ぞろいなので、何でも『私が悪かった』と進んで悪者になるので喧嘩にならないのですよ。」と答えたそうです。
聖書は、ローマ3:10~18「次のように書いてあるとおりです。『正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。彼らののどは開いた墓のようであり、彼らは舌で人を欺き、その唇には蝮の毒がある。口は、呪いと苦味で満ち、足は血を流すのに速く、その道には破壊と悲惨がある。彼らは平和の道を知らない。彼らの目には神への畏れがない。」と警告しています。若い女性プロレスラーがSNSの誹謗中傷で自殺致しました。多くの人が「兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、自分の目の中の丸太に気づかない。」のです。信仰も自己義認という誤った偶像を作りかねません。私達は身近なスケープゴートを標的にしたがるのです。
「神聖な愛」イエス・キリストの愛を「犬」や「豚」と言うこの世的な正義の人々に語っても、「嚙みついてくる」事が多いのであります。「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。」主イエス・キリストは自分を殺そうとする人々さえ愛されました。
マタイ5:44~45「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」主イエス・キリストの「愛の律法」は人間から生まれるものではなく、聖霊様から与えられるものなのです。この罪人なる私を限りなく愛して、十字架により贖(あがな)って下さったキリストの御手に全てをお委ね致しましょう。父なる神様は、永遠に変わる事の無い神様の愛の導きを信じる者達を守り、成長させて下さるからです。