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2020年12月6日  佐藤宏明 牧師

「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。彼らがひそかに行っているのは、口にするのも恥ずかしいことなのです。しかし、すべてのものは光にさらされて、明らかにされます。明らかにされるものはみな、光となるのです。それで、こう言われています。『眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。そうすれば、キリストはあなたを照らされる。』愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。」

エフェソの信徒への手紙5章8~16節

ジョン・ベイリーと言う人は毎朝、「主イエス・キリストが一緒に行って下さらない様な所に行く事のない様に、また、主イエスに覗かれて困るような事を、心の中に持ちません様にお守りください。」と祈ったそうであります。ここに、生きた信仰が働いております。私達は毎日の生活で、人をうらやみ、差別し、呪い、辱め、裁き、ねたみ、あざける思いを持つことが無いでしょうか。TVで「人間は人を差別する動物だ」と言った人がおりましたが、クリスチャンは自分の心を主イエス・キリストに見られ、言葉を聞かれて困るようでは「光の子」とは言えないのです。

パウロはテサロニケの教会に向けてⅠテサロニケ5:5-6「あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。従って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。」と教えております。私達の信仰は、主イエス・キリストが全て私達の心の中にあるものをご存じであり、見ておられると信じる信仰であります。人には分からなくても、主イエス・キリストは全てを知っておられるのです。しかし、私達は機械ではありませんから、主はいちいち私達の罪の心を正したり、手を出したりされず、じっと見守っておられるのです。主のその様な愛の光の眼差しを知る者達は「目を覚まし」ている人ですが、主の眼差しを知らないというならば、霊的に「眠っている」人、闇の力に支配された人と言えます。昔の侍は何をしている時も「気」の心で油断する事がありませんでしたが、救われた私達はそれ以上に、霊的に「目覚めた者」「光の子」として油断なく、主イエス・キリストの眼差しを見失わない様にしなければなりません。「主の日」は近いのです。

Ⅰテサロニケ5:9-10「神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。」

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