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2020年7月15日  佐藤宏明 牧師

「人が労苦してみたところで何になろう。わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。わたしは知った、人間にとって最も幸福なのは喜び楽しんで一生を送ることだ、と、人だれもが飲み食いし、その労苦によって満足するのは、神の賜物だ、と。わたしは知った、すべて神の業は永遠に不変であり、付け加えることも除くことも許されない、と。神は人間が神を畏れ敬うように定められた。今あることは既にあったこと、これからあることも既にあったこと。追いやられたものを、神は尋ね求められる。太陽の下、更にわたしは見た。裁きの座に悪が、正義の座に悪があるのを。わたしはこうつぶやいた。正義を行う人も悪人も神は裁かれる。すべての出来事、すべての行為には、定められた時がある。」

コヘレトの言葉3章9~17節

ギリシャ神話に「スフィンクスの謎」と言う神話があります。スフィンクスが旅人に「朝には四本足、昼には二本足、夜には三本足で歩く者は何か。」と問いかけ、解けない者を食べてしまったというのであります。しかし、テーベのオイデプスが謎を解き、「それは人間だ。初めは四本足で這うが、成長すると二本足で歩き、年老いると杖をつく三本足になる。」と答えてスフィンクスを退治したということです。

しかし、人生の謎は更にその先にあるのではないでしょうか?「その先など無い」と言うのは簡単であります。またそれは、自分の人生を虚無に投げ出す、哀れな方法と言えます。聖書は三千年も昔に、「神は永遠を思う心を人に与えられた」と啓示しています。人生は短く、苦しみが多いのです。それは、人間に与えられた霊的な試験なのであります。詩篇90:2「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。」心ある人は、深く人生の意味を求め、創造者の摂理を学ぼうと信仰の道を歩みます。

アフリカの奥地に旅行した外国人旅行者が、その国の王様から「イギリスの女王から贈り物が届いたが、何か分らず、倉庫に入れてあるので見てくれ。」と相談を受けました。旅行者が見てみると、立派なグランドピアノだったのですが、ひっくり返して逆さまに置いてありました。早速、正しく設置し、ピアノを奏でると、素晴らしい音がして王様もビックリしたという事であります。

はたしてその様に、神様からの素晴らしい贈り物である「永遠を思う心」をひっくり返したり、短絡的に軽く扱ったりしてはいないでしょうか?本当に大切なものを求める「目覚めた心と魂」を見出しましょう。

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