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2020年5月31日  佐藤宏明 牧師

「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」

使徒言行録2章1~4節

弟子達が聖霊による御言葉を語りだしたとき、エルサレムに詣でていたあらゆる国の人々は、使徒2:7「驚き怪しんだり」、使徒2:13「新しいぶどう酒に酔っているのだ。」と嘲りました。人から悪く言われるのは気持ちの良い事ではありません。たえず人間の心には己を正しいとし、誰かを差別し、批判する肉の働きが潜んでおります。それを聖書は「肉の罪」と教えるのです。また信仰者が御霊により伝えようとする福音に耳を閉ざすのが「肉の心」なのです。ともすれば私達はそのような隣人の頑なな心に気落ちしがちでありますが、人間にどのように思われるかよりも、天からの声、内なる聖霊様の知恵と力に耳をすませて、それが如何に恵みに溢れたものであるかを聞き取り、心から感謝すべきなのであります。

「天から」注がれた「炎」が「一人一人の上にとどまった」とあるように、聖霊様の働きは地上からでも、人間からでもありません。聖霊の事をやかましく議論する人が多いようですが、聖霊様の働きは人知を超えたものであると同時に、人間の感情で引き起こす自己陶酔でもありません。私達はそれを人間的な何かにすり替える事の無いように気をつけなければならないのであります。

私達はオーケストラの素晴らしい楽曲を楽しむ事が出来ます。それは、楽団員一人一人が指揮者の指揮に従い、一心同体となってメロデーを奏でるからであります。そのように信仰は聖霊様による天の指揮棒に一生懸命に従う事によって生み出される霊的なハーモニーなのではないでしょうか。ここに聖霊により叫んだペトロの説教が記されておりますが、ペトロは預言者ヨエルの預言を引用し、「神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。上では天に不思議な業を、下では地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。」使徒2:17ー21と教えております。

私達は人の事、地上の事に目を奪われて、信仰の目標を見失いやすいものであります。助け主、聖霊様に目を向け、その天からの「不思議な霊の幻」の中に生かされてまいりましょう。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」マタイ6:33。

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