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2020年4月5日  佐藤宏明 牧師

「万軍の神、主よ、わたしの祈りを聞いてください。ヤコブの神よ、耳を傾けてください。 神よ、わたしたちが盾とする人を御覧になり、あなたが油注がれた人を顧みてください。 あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。主に逆らう者の天幕で長らえるよりは、わたしの神の家の門口に立っているのを選びます。主は太陽、盾。神は恵み、栄光。完全な道を歩く人に主は与え、良いものを拒もうとはなさいません。万軍の主よ、あなたに依り頼む人はいかに幸いなことでしょう。」

詩編84編9~13節

昔、ノルウェーを旅行中の牧師がヒッチハイクの青年を乗せてあげたそうです。ありがたがった青年はタバコを取り出し、「どうぞ、一本。」と勧めてきました。牧師が「私はタバコを吸いません。」と断ると、青年が「それはいいですね。私は何度も止めようと努力したのですが、どうしても止められなくて。」と言うので、「それならイエス・キリストを信じて、止めれば良いですよ。」と牧師は答えました。すると青年は、「宗教など真っ平ごめんです。宗教は意志の薄弱な、信念の無い弱い人のやる事ですよ。」と自分の世界旅行の強い意志を語り始めました。そこで牧師が、「先ほどあなたは、自分はタバコが止められないとおっしゃっいましたが、タバコすら止められないのなら、世界一周されても、意志の弱さは変わりありませんね。」と問いかけると、青年は次第に自分の弱さが分かってきて、その旅行中にキリストを信じる人に変えられていったそうです。

ガラテヤ6:3~4「実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人がいるなら、その人は自分自身を欺いています。各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう。」

その青年のように、この当たり前の真理が見えない人が多いのです。

聖書は箴言16:18で「痛手に先立つのは驕り。つまずきに先立つのは高慢な霊。」と霊的な真理を見ない人の傲慢さを警告しています。多くの人は信仰を意志薄弱な弱い人のする事と勘違いしている様ですが、殉教者や犠牲の精神を貫いたクリスチャンの支えが何かを知らないからなのです。土の器に過ぎないクリスチャンが歴史と罪の世界を貫いて輝いているのは、内に秘めた霊的な宝、聖霊の力によるものなのです。

Ⅱコリント4:7「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。」詩編の作者もまさにその様に「神により頼む人の幸い」という真理を歌っているのです。

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