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聖書のメッセージ

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2023年5月  佐藤宏明 牧師

「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。」

ヨハネによる福音書15章1~6節

神様は預言者を通してイスラエルに「わたしはあなたを、甘いぶどうを実らせる確かな種として植えたのに、どうして、わたしに背いて悪い野ぶどうに変わり果てたのか。」エレミヤ2:21と嘆いておられます。選民の歴史はその様に父なる神様への裏切りの歴史で有ると共に、信じる私達一人一人への警告の預言でもあります。

「実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる」イスラエルが神様にしっかりと繋がっていた時代は少なく、厳しい裁きの剪定の時代の方が多いのであります。しかし、神様が剪定をされると言う事は、良き実を結ぶ事を諦めてはおられないと言う事でもあります。主キリストもご自身を裏切る弟子達の弱さを十分に御存じであって、「愛の鞭と杖」の剪定を続けて下さるのです。霊的な試練は私達の信仰を清め、主イエス・キリストへの「最初の愛」に立ち返らせるために必要なものと言えます。しかし、私達は自分の力で実を結ぶ事が出来ると勘違いしがちなのであります。そして、「霊の実」ではなく余計な人間的枝葉を茂らせて、勝手に満足しがちなのです。

「御霊の実」とは何でしょうか?ガラテヤ5:22~24「これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。」農夫である神様は必ず私達の枝葉である19「肉の業」を切り捨てようとされます。苦難や試練は私達を十字架に結び付ける神様の「剪定」なのであります。

詩編119:71「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。」主イエスに結び付くという平凡な秘訣を御言葉は教えております。

15:5「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」信仰は主によって愛の実行と言う霊的な実を結ぶのです。

 

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