2021年4月4日 佐藤宏明 牧師
「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。父は、御自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである。また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。」
ヨハネによる福音書5章24~29節
短い中に主イエス・キリストは何度も、「アメン・アメン・レゴー・イミーン」「はっきり言っておく。」と言われました。ここはそれ程、神聖で重要な奥義が語られている所なのです。それは創造者が十字架のイエス・キリストに聖なる救いの全権を譲与された事を宣言する救いの要点だからであります。実に「生と死」「救いと滅び」の明確な真理が告げ知らされている所であり、「信じる者は死から命へと移る」境界線なのです。Ⅰコリント15:42-43「死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。」パウロは、植物の種が葬られて初めて芽を出し成長し、花を咲かせる様に、人の命も葬られて「永遠の命に甦る」事を宣言しているのであります。昆虫も鳥類も、初めは卵から変態して姿を変えて行きます。主は、(マタイ6:30)「今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。」と嘆かれます。
赤ん坊は十月十日、母親の胎内で養われ、外に出る準備を全て備えられます。母体の中で外の世界の人体的機能が必要でしょうか?母体の中が住み心地が良いからと留まっておれるでしょうか?同じ様にこの世界の事だけを人生と考える人は、来るべき永遠の世界への備えを軽んじ、霊的に母体内死した人であります。十字架による恵みに預かれない人であります。虚無的な罪の支配から脱出できないのであります。
しかし、「裁きの権能」を譲与された主イエス・キリストを信じる者は、「永遠の命を得、裁かれない」のです。物理的なこの世の罪の支配から脱皮して、霊的な永遠の恵みに飛翔する人生を与えられるのであります。
24「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。」パウロはこの事をⅠコリント15:46「最初に霊の体があったのではありません。自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです。」と示しております。